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 #020
祈祷のこと(2)

 

 寅吉の話を聞き終わってからその説明を誉め、『古史伝』に記したクエビコノカミの「足は行かねども天下の事を悉く知る」というくだりの説明を読み聞かせると、大喜びして「これで寄り祈祷に験のある理屈を確信することができた」といった。

 また、後日あちらこちらから寄越された咒禁、祈祷などの依頼が山積みとなっているのにそれを行おうとせず、日々遊んでばかりいるので「早くせんか」と催促すると返事だけして蜜柑、椎の実とおねだりするばかり。肝心の頼み事は明日する、明後日するなどと先延ばしにして平気な顔である。なぜだ、と尋ねた。

 寅吉が答えた。

「加持、祈祷などを世間の人は大変好むが、俺はあまり気が進まないので遊びたくなる」

 重ねてその理由を尋ねたところ、寅吉が走り寄って来て答えた。

「加持、咒禁など随分験のあることも多くは両部の法なので、正しく思われることが少ないため気が進まない。でも、これまでは人の頼みなので仕方なく行っていた。頼まれごととはいえ、自分の趣旨に沿わないことをするのは気分の良いものではない。病には薬を用いるほど良いことはないのに、加持、咒禁などを先にするのは愚かなことだ。良い医者にかかり薬を飲むことを第一として、その薬の験があるようにと神々に祈るべきだ。

 加持、咒禁に折々験があるのは、行う人の一念と受ける人の信仰心にかかっているように思われるのだが、これも世に多く棲む鬼物の与える験かと思われる。そのわけは、ある田舎者が胸焼けがするといってきたので、冗談に加持する真似をして胸に竜吐水(※手押しポンプ。火消しに使用する)を描き、その脇にわからないように『十人火消し』と書くと、即座に治ってしまったことがあった」

 

「加持、咒禁の法は多くが両部めいているために気が進まないなどということ、病には薬を第一にしてなどというのは感心しない。その理由はお前も知っているだろう、『神代巻』にもオオナムチノミコト、スクナヒコノミコトの二神が咒禁と薬を創始されたことが見え、上代には咒禁が第一であったからだ。

 であれば、いまに伝わる咒禁に仏法のわざが交じっているとはいうものの、それは選び捨てて上代の正しい咒禁を尋ね、それを第一として薬を次にするのが真の道ではないか」

 寅吉は感心していた。屋代翁も言葉を継いだ。

「わしはたとえ両部の法であろうと咒禁を第一にして薬を次にしてほしいと思うぞ。そのわけは、咒禁は両部でも使われており身に害をなさないであろう。薬は誤って使用すれば人に害をなすことが多い。古人も『薬せざれば中医にあたる』(※下手な医者にかかるより薬を飲まず自然に治るに任せるほうがいい)といっておる」

 寅吉はますます感服している様子だった。