| 忌詞のこと | ||
|---|---|---|
|
「泣くことは天下の不吉とはどういうことか」 寅吉が答えた。 「こどもは仕方ないが、大人は泣いてはいけないということだ。その理由は、神々は泣き声を聞くと耳をふさぎ給うので、天下の不吉として正しい山人は特に嫌う。女はまだしも、男はできるだけ泣くものではないというのが師の教えだ」
小嶋氏のところで一夜鮨を頂いたときのことである。主が「これは悪い鮨ですが」とへりくだって挨拶したところ、寅吉が「悪いなどという言葉を使うものではございません」というので、その理由を尋ねた。 「悪いということはできるだけいわない方がよい。特に悪い天気というのはよくない。よく降る天気だなどというべきだと師が仰っておられた」
また、ある人が喉の固いところを喉仏というのを聞いて、寅吉がいった。 「世間の人は喉の骨を喉仏というが、俺の山では喉神という。米のこともぼさつというが、神というのがよろしいと師にいわれた」 これを聞いた傍らにいた人が、「喉仏、ぼさつは世間で云い慣らされているが、喉神、米を神というのはおかしく聞こえる」といったところ、寅吉が聞きとがめた。 「それはよからぬ心だ。よい言葉はよく使って、世間の人がおかしく思わないほど云い広めるのがよい」
「あちらの世界でも忌詞(いみことば)といって病むを休む、泣くを潮垂る、死ぬを直り、墓を土塊、血を汗、仏を中子、僧を髪長、堂をあららぎなど、よい言葉に代えていうことはないか」 寅吉が答えた。 「そういうこともあるかもしれないが、気付かなかった」
|
||
| 前 上 後 |