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#024
平田、修行者の心得違いを正すこと

 

 二十九日に戸田伴七国武という私のシンパが越後から訪ねてきた。これが大変な荒くれで、髪、髭は伸ばし放題、無造作に髪をかき上げて櫛を刺すという風体である。寅吉はその有様をつくづくと眺め、古呂明が厳しい顔をするとこうなるかなとつぶやいた。

 この男は、いわゆる武者修行をして諸国を巡っていた。神主、出家などと議論を闘わせては勝ったり負けたりを繰り返してまいりました、がはは、と声高に語りつつ、腰に下げたたばこ入れを取り出した。

「この根付けはとある修行者と議論して勝ったときに奪った本尊の聖天であります。錐で穴を空けて根付けにしてやりましたわい」

 あまりの所行に呆れて、少しこらしめてやらねばなるまいと、わざと受け取らなかった。

「あなたはよくもこのような汚らわしいものを腰に下げていられるものだ。私は手に取ることはもとより、見ることすら汚らわしく思う。そもそも、古学に志を捧げる者はまず心に真の柱をうち立て、常に神の御稜威(みいつ)を受け賜ることを願うべくゆえに身体を清浄に保たなければならない。であれば、かりそめにも神の嫌い給うそのような禍々しいものなどを身につけるべきではない。

 伊勢両宮の神事ではもちろん、朝廷にても重要な神事を執り行うときには仏法の近づくを忌み、野蛮な者が訪れたとき、去った後には賽の神の祭を行って蛮国の妖神を追い退ける習わしを思い出すべきである。しかるに、その古道に志を傾けながら、なおかつそのような汚らわしいものを身につけていて良いはずがないであろう。

 この道に入って間もない者は異国の道を見聞きするだに憎らしく覚えてそのような所行を行いがちだが、それは荒魂(あらみたま)のすさびであり、人を教え導こうとする者のすることではない。ただただ一人で学問をし徳行を積み、できれば著述を為して、自然とその徳を遍く世間に広めようと勤めることが肝心なのである。あなたのように乱暴な振る舞いで二、三人に勝ったところで、相手も決して心から「負けた」とは思わないだろう。かえって恨まれるのが関の山だ。

 世に『一升入る陶器に一升満たせば音はしない。半分しかなければ音を立てる』という譬えがある。そのように荒ぶっていては、その譬えを引いて嘲り笑う者も現れるに違いない。そんなものは海にでも川にでも捨ててしまいなさい」

 伴七は大きな衝撃を受けた様子で居住まいを正した。

「じつにごもっともなお話です。この像に祟りを為さぬようよく申し含めて捨てることと致します」

 あっさりと態度を変えたので可笑しくなった。

「あなたはいかにも剛毅な人のように見えて気弱なことをいう。古学を学ぶ者がこれしきの物に祟られることを恐れてどうするのか。第一、この聖天というものはもともと有名無実のものであるはずだが、祈ってときおり験があるのは、妖魔遊魂が乗り移って行うわざである。妖物にはそういうことがよくある。寄り添う人の心に隙があれば、すかさず付け入ろうと窺っているものなのだ」

 このとき、田河利器、竹内健雄、寅吉が同席していた。

「お前達はどう思う?」

 と、問うと、利器と健雄は初対面の戸田に遠慮して返答に困っているようだったが、寅吉は少しも遠慮がなかった。

「まことに先生の仰るとおりだ。もともと存在していなくとも、形を作って祈る者があれば妖魔の類が寄り付いてさまざまな怪を為すものである、と師匠も仰っておられた」

 寅吉はこうもいった。

「捨てる話だが、海や川へ捨てるのは良くない。鋳潰すべきだ。海や川に捨てても、いつしか陸に上がることがある。特に網にかかって上がったりすると、無知な世間の人が霊像が現れたと大騒ぎするものだ。だから、後世の人を惑わすことのないよう溶かして捨てるのが一番だ」

 これに伴七も納得し、溶かして捨てましょうといい残して去った。