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#022
荘吉、平田の弟子となること。神仙に薬方を授かる話

 

 後日、その僧は何者だったのかと美成に尋ねた。彼のコネで調べてくれたところによると、下谷金杉町の真言宗の修験者、真成院という者だった。いま流行の江戸風の仏学をよくする新進気鋭の才僧とのことである。

 さて、同月二十六日、寅吉の兄の荘吉が訪れた。

「昨日、寅吉が大騒ぎして怒って帰ったことを名主様は大層残念に思っています。どうかまたお連れしてくれないかとの切のお招きです」

 寅吉がこれを聞いたが、

「あんな家、二度と行くものか」

 と、にべもない答えである。

 荘吉はすっかり肩を落として私にいった。

「本人がそういうのであればどうにもなりませんが、私が名主様にそう申し上げるのは立場上とても難しいのです。どうか、私をこちらにお弟子奉公させていただくわけにはまいりませんか。そうすれば、名主様から寅吉を連れてくるようにといわれてもそれを理由にお断りすることができます。そうでなくては、とても困ったことになってしまうのです」

 それももっともだと思い屋代翁と相談したところ、荘吉の願いのままにしてやってはどうかというお答えだった。それではと弟子奉公の証文をとり、汚れた衣服を着替えさせ、新品の服に羽織袴、大小の刀などを与えて我が家に置くこととした。

 「まるで侍になったようです」

 荘吉は子供のように喜んだ。

 

 さて、その日の夕方に美成が訪れた。寅吉が彼の家にいた頃、大関侯の奥方が七年も煩っていた持病の癪をただ一度咒符を与えただけでたちどころに治したことがあったとかで、またぜひ会いたいと仰っているという。

 また、水戸家の立原翠軒翁も、寅吉の噂を耳にして彼の家で会いたいと待っているので、今日連れて行きたいということだったため行かせた。立原翁は大変喜んで、書を多く書かせ、いろいろな事を尋ねては寅吉の答えに感心したという。その後、大関侯の元へも伴い、帰ったころにはすっかり日が暮れていた。

 後日、翠軒翁が屋代翁に語った話である。

「世間のちょっと漢学を齧った輩は寅吉のことを頭から疑ってかかっておるが、わしは幽界に誘われた者の話を多数見聞きしているのでまったく疑わぬ。また、誘われて幽界に行ったのではないが、神仙に薬の製法を授かった者を知っておる。

 水戸の上町というところに鈴木寿安という町医者がおる。その息子の精庵がそうじゃ。いまは年の頃三十ばかりの男じゃが、十五、六歳のことじゃという。容貌魁偉な異人(※怪人)が突然目の前に現れ、

『○○の日に下総国神崎社(※ママ)に来い。方書(※薬の製法を記した書)を授けよう』

 という。

『それはありがとうございます』

 と、答えたものの、なんとなく不気味に思って当日約束を破ってしまったというのじゃな。

 するとある日、また例の異人が現れ、

『なぜ来なかったのだ。○○日には必ず来い』

 と、告げて帰った。今度は約束どおり行ってみると異人が待っており、一巻の方書を受け取った。

『くれぐれも他人には見せるな』

 と、念を押され、精庵はそのまま帰されたという。

 それは○○という病気の薬の製法じゃった。効果はてきめんじゃったので噂は瞬く間に広がり、とうとう役所の知るところとなった。役人からその書を見せるようにとのお達しがあり、精庵は他人には見せるなといわれていると申し立てたものの聞き入れられるはずもなく、やむなく役所へ持参することとなったという。

 その前日のことじゃ。精庵の家に紙の焼ける臭いが立ちこめた。あちらこちらを探したものの、何が燃えているのかわからない。すぐ近所のはずなので、翌日役所へ持参する方書を持って避難しようとすると、燃えているのはなんとその方書であった。不思議なことに、方書はみな焼けて少しも残っていなかったのだが、包んでいた紙は少しくすぶっていた程度でまったく焼けていなかったという。

 家人は大変に驚き、こんなことを申し上げても到底信じてもらえるはずがないと心を悩ませたが、翌日はしかたなしに焦げた包み紙を持参してありのままを説明したという話じゃ。

 神仙とはかくのごとき人知を超えたはからいを為すもの。寅吉の話は疑うべきではない」

 さすがに章考館の総裁であられる。見事な見識と言うべきであろう。