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酉の刻(※午後六時頃)も過ぎようとしていた頃、寅吉は怒った様子ながらも妙にすがすがしい面もちで駆け戻ってきた。続いて荘吉も戻った。
「どうだった?」
「袴をはいていない侍らしき人たちがたくさんいる部屋に案内された。二十人位もいただろうか、思い思いにいろいろなことを聞かれた。例によって、何を食べてる、雨が降ったらどうするとかいった質問でやれやれと思っていると、三衣をびしっと着飾った真言僧らしき者が馬鹿にしたような口を利く。
進み出て『この印相はどう結ぶ』『あの印相はどう』と問うので、山で見聞きしたとおりにいわれるままに結んで見せてやると、自分も知っていたかのような顔つきで頷いている。摩利支天の印相を問われたとき、ちょっとからかってやろうとわざと違う形を結んでやるとそれでも頷くので、やはり知ったかぶりだと悟った。山で見聞きした印相は世間の僧や修験者が知っているものとは大概形が異なっているのだが、この僧がそれを知っているはずがないからだ。
つぎに祈祷のことを聞くので適当に答えていると、この僧が文句を付けた。
『お前の知っている印相はみな道教のものだ。祈祷はおおかた萩野梅雨が教えたと聞いている。お前は仏教を嫌い、神道を尊んでいるらしいが、仏ほど尊いものはないのだから、神など捨てて仏道に入れ。
私は元より神を嫌い、伊勢大神宮やら金比羅をさえしたたかに貶したものだが、罰など当たった試しがない。この一事を持ってしても神など拝むのは益のないことと知れるだろうよ』
何だこいつは、と俺は自然に語気を荒くした。
『あなたは立派な服を着ているようだが、なんにも知らない売僧(まいす)に過ぎん。さっき俺の見せた印相をすべて知っていたような顔でいちいち頷いていたが、山の印相は世に知られるものとは形が違う。古代の真の形を習ったものだから、そんじょそこらの人間が知っているはずなどないのだ。それを道教の印相だなどというのは片腹痛い。
世間であなた方が結ぶ印相は、真の形を知らない僧たちが次々に誤って伝えたものだ。真の形のとおりに結ぶ僧や修験者はひとりも見たことがない。みな形が異なり、どれが真の印相だか区別が付かないはずだ。
真の形を習った俺の印相を偽りだと責めるのは、大勢の人の前で俺を貶め、己の博識ぶりを知らしめようとするつもりなのだろうが、さっき俺が摩利支天の印だといって結んだのは、でたらめの形だ。あなたが知らないのに知った風な顔で頷くので試したまでよ。これにすら頷いたということは、真の形を知らないのは当然のこと、世間で知られている形すら知らないということだ。
また、俺が祈祷を萩野氏に習ったと聞いたらしいが、いったいどこの誰がそう言った? 最近、平田先生の家に萩野氏が来て、俺に印相を教えたとかいう話をしていた。おおかた、出所はその辺りだろう。山崎美成という人に尋ねてみろ。萩野氏は俺の結ぶ印相をメモまで取って習っていたのだ。
それから、俺が神を尊ぶのが気に入らないようだが、仏教はもともとこの国のものではないぞ。神はこの国のものであり、俺も人は皆その子孫だ。ルーツをたどってその祖を第一とすることは我が師の教えであり、これこそが真の道だ。
あんたこそ本業の仏教のことすらうろ覚えなのだから、早く還俗して神の道に帰れ。あんたは神が嫌いらしいが、仏の子孫ではないだろう。神国に生まれた者でありながら神を嫌いだというのなら、この国をも嫌いな道理。この国から出ていくがいい。
僧という者は、大体がお前のようにひがみがましく汚らわしいから、俺は僧が嫌いなのだ。天照大神や金比羅神をなどを恐れ多くも罵ったが罰が当たらなかったことをもって神には利益がないといったが、神は大らかにましますゆえにお前のような穢れた者にはあえて罰をお与えにはならないのだ。もし本当に神には何を言っても罰など当たらないと思っているのなら、いまここで大神宮や金比羅宮などを罵ってみろ。俺がここで彼の宮に祈り訴えて、たちまちに御神罰を蒙らせてくれる』
と、さんざん吐き捨てて帰ってきた」
「なに? それで真言僧はどうしたのだ?」
寅吉は、なぜか答えられない。覚えていないらしい。
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