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#019
寅吉、真言僧と大喧嘩すること(1)

 

 二十三日に上番(※不明)へ出て、目付役所に寅吉を我が家においていることを届け出た。世間で寅吉の評判が高まり、一報入れておくようにと釘を刺されたためである。

 今日も吉田尚章が訪れて寅吉に会い、書を書くよう願ったほか、いくつか質問などをしていた。

 その際、内藤殿の領地である越後国○○で、○○という産土神(うぶすなのかみ)に約○年間使われて帰された子供の話が出た。彼は○年前に帰ってきたらしいが、産土神に習ったという文字は寅吉の書に似ていたという。後日、その書二枚を人から借りてきたものを見ると、なるほど、それらしく見える。その子供はいまは二十歳ばかりになって生国で暮らしているという。

 この夜、屋代翁と美成が訪ねてきた。越後国蒲原郡小関村の上○(※てへんに昌)六郎篤興も来合わせた。

 屋代翁が寅吉に、

「お前は病には咒術より薬を使う方がいいというが、わしはそうは思わんなあ」

 と、自説を滔々と述べると、寅吉も感服していた。

 さて、今夜も寅吉はみんなで相撲を取ろうと言い出した。酒宴の上でのことなので、私はもちろん、翁も美成も相手をしてやった。

 

 二十五日の申の刻(※午後四時頃)から、寅吉は兄荘吉に伴われて東叡山近くの広小路の名主である岡部某の家に出かけた。もともと寅吉の噂が世間に広まりはじめた頃、とんでもない怪しげな子供らしいと陰口をたたかれていた折りに、それを確かめるから荘吉に連れてこいと何度も申しつけていたことがある。

 荘吉はそのたびごとに我が家を訪れていたのだが、前に屋代翁にアドバイスを受けたとおり、やんわりと断っていた。ところが、とうとう名主も根負けして荘吉の機嫌を取り、贈り物などして「どうか連れてきてはくれまいか」と心底から頼むようになったというので、断り切れずに寅吉をやることにしたのである。

 だが、寅吉は日頃から名主という人種をひどく怖れている。しかも、名主は荘吉に寅吉を連れてくる日を前日に教えるようにとも命じていた。とすれば当日は間違いなく大勢の人が集まって待っているはずであるし、その中には寅吉をつるしあげてやろうと待ちかまえている者がいないとも限らない。

 私は寅吉の後ろ姿を見送った後、遠く岩間山に向かって祈った。

(寅吉が辱めを受けるのは私にとっても大変口惜しいことです。どうかそのようなことのないよう、寅吉をお守りください)