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七日の夕方、屋代翁が見えて、唐の則天という女王の書いた○○という秘蔵の帳本を寅吉に見せて、これをどう思うと問うた。寅吉は、一枚だけ見て、
「これは高貴な女が書いた書だな」
というのに驚いた。
「何歳くらいのときに書いた書だかわかるかの?」
「七十前後だろう」
寅吉はぺらぺらととめくり、
「いくつか男の書いた文字もあった」
といって一行を指さした
「これは男の書いた字だ」
私はもちろん、屋代翁も大変驚かれた。
というのは、この帖本はその女王が鳥虫飛白体という書体で書いたもので、このあたりでは屋代翁以外に所有する人はなく、寅吉が以前に見たことがないはずのものであったのに、はじめて見てこのように目利きしたためである。
則天という人は、唐の太宗という王の妻であったが、その死後に王位を継ぎ、国号を周と変えた。その万歳通天という年に自ら書いた書であり、そのときは○○歳だったことがわかっている。また、男の書いたものだといった行は、その国の通例として確かに臣下の男子が書いた行であるという。
翌日八日には小嶋惟良氏、屋代翁、私の三人で寅吉を連れて山田大円の家を訪ねた。この人もかねてから寅吉に会いたい旨を小嶋氏に伝えており、いろいろと珍しいものをたくさん持っていることから、それを見るためでもあった。 この日、山田市の家に集まった者は十人余りだった。
寅吉に書を書いてくれというと、これまで見たこともない縄を結んだような、篆書のようなあちらの字をたくさん書いた。いろいろなものを見ていると、いろいろな話になったが、阿蘭陀(※オランダ)から来たオルゴオルという楽器を見て寅吉が、
「山で見た楽器にも似たようなものがあった」
と、いいだした。
山田氏が「それはどのようなものか?」と尋ねると、下図のような(※省略)鉄の箱に笛を六本仕掛け、水をはって棒を回すと中の水がお湯になって笛が鳴る器のことを語り、ついで、鉄の器に水を入れ、鉄の棒でかき回すとお湯になる器のことを詳しく語った。また、このとき集まった人の中に、臼井玄中という人がいた。寅吉は、この人に山人のことを問われて答えていた。
屋代翁の提案で、小嶋氏、私、寅吉で桑山左衛門氏の家に行き、ここでもたくさんの書を書いた。屋代翁も筆をとってあれこれと習おうとされていたので、雌牛に腹を突かれる(※釈迦に説法?)とはこのことだと思った。
九日、ある人が訪れて寅吉にいろいろと尋ねていた。そのとき居合わせていたのは松村平作、竹内健雄、守屋稲雄、岩崎芳彦などだった。松村が以前から寅吉と問答していたことを、故郷への土産にと書き記していたものがあった(屋代翁はこれを『嘉津間問答』と名付けた)。
十日には今井一造、伴信友、岩井中務、山崎篤利、笹川の正雄などが集まり、あれこれと話をしていた。この日、屋代翁の紹介状を携えて、倉橋与四郎氏がはじめて我が家を訪れ、易の話をしてくれた。また、印相のことを尋ねられ、寅吉はそれらすべての形を結んで教えた。
十一日にも今井たちが訪れた。昨日のような議論をもっと聞きたいという。
十二日には倉橋氏がまた訪れ、昨日同様印相のことを尋ねられた。このときは印相について大議論になった。また、この日は美成のところから岩間山の近くに住む知人が訪れた。寅吉の噂を聞いてこちらにも寄越して欲しいと伝えてくれとのこと。その人に寅吉を連れて行ってもらったところ、その知人は咒術をよくする人で、美成を通じて寅吉にいろいろな咒術を教えたらしい。その夜、寅吉は美成のところに泊まり、翌十三日に戻った。
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