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#013
寅吉、山へ帰ること

 さて、翌十六日の昼前、健雄、稲雄を付けて寅吉を美成の許へ送らせ、我が家へ泊めたことを詫びさせた。すると、その日の午後、寅吉が旅装束で我が家を訪れた。美成が「早く山に入った方がよい」というので出発したが、ひとこと挨拶するために寄ったというのである。

「旅に出るなら今日はもう遅い。今夜はここに泊まって明日立つといい」

「それならそうしよう」

「ところで、お前は常陸国へ行く道を知っているのか。路銀は持っているのか?」

「美成さんにもらった」

 寅吉は八百文ばかりを取り出し、

「俺は師匠に連れられて空ばかり飛んでいたから下の道は知らないが、筑波山を目指して歩けばいつかは着くだろうと思っている」

 といって少しも心配している様子がない。やれやれ、かわいそうにと思って守屋稲雄に山の麓まで送らせようかなどと相談していると、五十嵐対馬が明日笹川に帰ると挨拶に訪れた。

「寅吉がまた山へ入るのだが道を知らないらしい。笹川へ連れて行ってしばらくお前の家に泊め、あちらの世界のことをいろいろ聞くというのはどうだろう。笹川から筑波山まではすぐそこだから、麓まで送ってはもらえないだろうか」

「おやすいご用です。明日またこちらに立ち寄りますので、そのときに連れて行きましょう」

 幸い、簡単に引き受けてもらうことができた。

 夕方、寅吉の兄の荘吉が現れ、弟との別れを惜しんだ。

「母はあのとおり思い切りがよいが兄弟数人ある中で男はお前だけだ。俺はお前とともに心を合わせて母を養っていこうと思っていた。そのお前がいつ逢えるともわからないところに行ってしまうのは残念でならない。このつぎに逢えるのは一体いつになることやら」

 荘吉は顔も上げずに泣いた。寅吉は瞬きもせずに目を見張って、兄が涙を拭うのを珍しいものでも見るかのように守っていた。

「男は泣くものではない。俺は因縁があってこういう身の上となったのだから、いまさらどうしようもないではないか。俺は死んだと思って兄貴ひとりで母の面倒を見てくれ。母が生きている限り年に一度は必ず会いに来て力になれることはするから」

 兄はなおもなんとか弟を引き留めようとしたが、周囲の者が

「寅吉は神に魅入られた者であるから、本人にもどうしようもないことなのだ」

 などと慰めたので、涙ながらにうなずきつつ帰った。

 後日、寅吉が言うには、

「俺も親兄弟の別れが悲しくないわけではないが、あちらの世界では泣くことを堅く戒めている。しかも、未練の心を持って山に入った後に泣いたりすれば、大いに修行の妨げとなってしまう。だから、わざと兄貴につれないことばを吐くしかなかった」

 とのことである。居合わせた者は、兄弟ともにもっともな言い分があり、どちらが正しいとも言い難いと中には涙ぐむ者もいた。

 かくして翌十七日の朝、約束どおり対馬が旅装束で供の者とふたりで立ち寄った。寅吉は満面に笑みを浮かべて旅の支度を始めた。私が渡した昨夜のうちにしたためた山人への書状とはなむけの歌を書いたものは稲雄が与えた笈箱(※背中に背負う箱)に納め、また、やはり稲雄にねだって手に入れた藤の木の長杖をつき、信友が譲った芦根石の笛にひもをつけて腰に下げ、出発の用意は万端整った。

 この子供の行く末を祈って阿須波の神に奉った御神酒で山入りを祝い、皆で手拍子を打ち、家中の者が寄ってたかって、そら笠だ、そら草履だと世話を焼き、涙ぐんで門口まで見送ると、寅吉はにっこり笑って振り返り、そのまま出ていった。跡を見送りながら女達が涙を流しつつ口々に心配する声を交わすのを

「別れを惜しんで泣いたりすると寅吉の修行の邪魔になるといっていたのを忘れたのか」

 と、叱りつけたものの私自身も涙は胸に迫っていた。このとき山人に送った書状の内容は次のとおりである。

 

 このたび、予期せぬことで貴山の侍童と出会い、そちらの事情などをいくらか伺い知ることができ、年来の疑問を多少なりとも晴らすことができました。じつに千載一遇の機会を与えていただいたことを深く謝する次第です。それにつき、失礼を顧みず侍童の帰山に託して一筆啓上申し上げます。

 まずもって皆さまにおかれましてはますますご壮健にてご勤行のよし、お喜び申し上げます。

 さて、そもそも神世のときより顕界・幽界は隔別の定めがありますため、幽境の事情は俗世からは伺い知ることが難しい状況にありますが、俗世の事情はそちらではよく承知しておられるようでございますのできっとご存じいただけているものとは思います。私は天神地祗の古道を学び明らかにし、あまねく世の中に説き広めたいと願って不肖ながら本居先生の志を継ぎ、多年にわたって学問に刻苦勉励して参りました。

 しかしながら、俗界に身を置く凡夫としましては幽界の事情はなかなか窺いがたく疑問に思うことも多数あり、難渋しているところでございます。この機会を得まして後はお教えを請うて疑問を晴らすことができればと願っております。なにとぞお許しくださり、ときどき疑問を祈願します折りにはご教示いただけないものでしょうか。もし、それが可能でありましたら侍童が下山する際にお答えを持たせてくださるよう伏してお願い申し上げる次第です。もし、ご快諾いただけましたら賽礼としまして生涯にわたり毎月相応の祭事を勤め上げさせていただく所存です。

 また、先日上梓しました『霊の真柱』という本をご覧に入れます。これは神代の古伝によって及ばずながら天地間の真理、幽界のことをも考え記したものです。何分、浅学非才ゆえ貴境の高覧を賜りますれば事実と異なる記述も定めて数多くあるものと存じます。もしご一読いただいて相違の部分などをご教示いただければ現世の大幸、勤学の余慶。生涯の本懐としてこれに過ぎるものはありません。尊師へよろしくお取りなしいただき、ご許容くださるようひとえにお願い申し上げるものです。ただ一筋に古道を信じ学んだ凡夫の誠心より貴界のさまざまな約束事をわきまえず書簡を差し上げる不敬の罪犯は、幾重にもご寛恕を仰ぎ願います。恐惶謹言。

 十月十七日

              平田大角

               平篤胤(花押)

 常陸国岩間山幽界

  双岳山人御侍者衆中

 なお、寅吉は我が家をたびたび訪れ、親交を深めたことから、今般下総国笹川村の門人、五十嵐対馬と申します者に御山の麓まで送らせるよう申しつける機会を得ましたことは実に願ってもない奇遇と雀躍限りなく存じます。これによりはばかりを顧みず申し上げます。なお、この上とも御身の修行の功が相積もり行が成道いたしますよう私からも祈望するしだいでございます。以上。

 

 なお、また寅吉に、はなむけとして詠んだ歌は次のとおり。

 

 寅吉が山にし入らば幽界(かくりょ)の、知らえぬ道を誰にか問はむ
 (寅吉が山に入ってしまえば、仙界の事情は誰に問えばよいのだろうか)

 いく度も千里の山よありかよい、言(こと)をしえてよ寅吉の子や
 (千里の向こうにある山を何度でも往復して、さまざまなことを教えてくれ、寅吉よ)

 神習ふわが万齢(よろずよ)を祈りたべと、山人たちに言伝(ことづて)をせよ
 (神の道を学ぶ私の長寿を祈って欲しいと、山人たちに伝えてくれ)

 万齢を祈り給はむ礼代(いやしろ)は、我が身のほどに月ごとにせむ
 (皆さまの長寿を祈る祭事は、命の続く限り毎月執り行います)

 神の道に惜しくこそあれ然(さ)もなくば、さしもの命のをしけくもなし
 (神の道にこそ命を懸ける価値がある)

 

 このように記し、読み聞かせて与えた。