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#012
寅吉、鬼ごっこに大喜びすること

 

 誤解が解けたところで、またいろいろな話をした。空行の話も出て、星はどんなものなのかという対馬の尋ねに、星が○○を通っていること、月に穴があることなどの話をした。また、文字を書いてくれという頼みに応えて、この世のものではないいろいろな字を数多く書いた。我々の知っている文字も多い中、神風野福、神野心鬼、鬼野心神などということばもあった。これらはあちらの世界の熟語らしかったのでその意味を知りたいと思った。また、朝開とも書いた。これは万葉集にも見られる発辞であり、非常に興味深い。

「これらはどう読むのか」

「知らない」

「どういうことだ?」

 どうも、あちらの世界では文字を教える際、まずさまざまな文字を異体字まで含めて覚えさせ、それを「使う」ときになって初めて一度に啓発して習得させるという方法を採るとのことである。数多く書く文字の中には異体字であるにもかかわらずなんとか私にも読める文字があったりすると

「俺ですら読めないのに」

 と、すねることがあった。

 なお、このとき書いた文字はどれも上代のもののように見える(小島氏はこれについて「空海が屍解仙(※死んだと思われた仙人が棺桶にくつなどだけ残して姿を消すこと)となってあちらの世界に生きていると聞いたことがある。あちらの文字がこのように上代の字体に似ているのは、空海が伝えたためではないか」と述べている。

 それもありそうな話ではあるが、寅吉が後日語ったところによると、あちらの世界にはもともと上代の書法が伝わっていたらしい。彼の師匠は「弘法大師は俗界では書の名手ということになっているが、いまだ上代の筆法の神髄を得たとはいえない」と語ったということである。

 さて、寅吉は後々まで自分で書いた文字を一文字たりとも読めたことがなく、読み方は知らないとだけ言い張った。本当に知らないのか、知っていながら何か理由があって読まなかったのか、今でもよくわからない)。

 そうこうしているうちに夕方五時頃となり、芳彦が信友の家から石笛を持って帰った。その譲り状は次のとおりであった。

 

 石笛をご所望と承り、篤胤からもらい受けて所持しておりましたものを進上いたします。神界にて末永く重宝していただければ本望です。

 文政三庚辰年十月十四日         伴 信友(花押)

    白石平馬君

 

 寅吉は大変に喜び、すぐに吹き鳴らして立ち上がった。

「さあ、出発するぞ」

「今日は五時を過ぎたし、もう日が暮れる。今夜はここに泊まって明日出立しなさい」

 周囲の者が口々に勧める中に、誰だったものか、

「今夜ここに泊まるのなら、ここに集まった人間で目隠しごっこをしよう」

 という者があった。寅吉は手をたたいて大喜びし、それなら泊まっていこうというので、日の暮れる頃から私はもとより竹内健雄、佐藤信淵、五十嵐対馬、守屋稲雄、岩崎芳彦などが寅吉の気を引くため夜十時過ぎまで目隠しごっこをするはめになった。なおもやめようとしないので、夜ももう遅いからまた明日しようと言い聞かせて、なんとか寝かしつけた。

 翌十五日、朝早く起きて食事を終えると、また目隠しごっこをしようという。

「おとながまじってこの遊びをするときは昼間はしてはいけないというきまりがあるのだ」

 寅吉はしぶしぶ仕方なさそうにうなずいた。

「じゃあ、夜はきっとしよう」

 この遊びのおかげで登山は十一月の末になるだろう。あれほど行きたがっていたのに、やはり子供だ、と、とてもおかしかった。

 さて、この日の昼前には、誰も頼んでいないのに、短笛を三管作り、七韶舞のこと、またその唄、長笛、短笛の吹き方を丁寧に教えてくれた。これを習ったのは、小島氏、守屋稲雄、私の三名である。

 その日、私は前日の夜から悪寒を覚え、この昼過ぎからひどい熱を発し、疫症(※不明)に違いないと思うばかりに苦しんで床に伏せていた。すると寅吉が傍らにやってきて、熱冷ましの咒文というものを唱えた。夜になったら一緒に目隠しごっこをするためである。まじないの効果なのか、不思議なことに、あれほどひどかった熱がたちまち下がってしまった。

 四時頃、屋代翁と萩原専阿弥氏がやってきて、寅吉にまた七韶舞のこと、それに使用する楽器のことなどを尋ねていた。私も病を押して座をともにすると、「寅吉はどうしてここにいるんだね?」という話になり、昨日、門前を通ったところを無理矢理捕まえた話をした。

「美成の家にいる者を勝手に泊めたのは礼儀に反しますが、それにこだわっていては笛はできなかったでしょうし、すこしでも長く足止めして、あちらの世界の事情を聞きたかったのでこういうことになりました」

「笛ができたのは結構だが、寅吉は早く美成の許へ帰すべきではないかねえ」

 これに寅吉が反論した。

「俺が美成のところにいるのは奉公に行ったわけではない。遊びに来いといわれたので行ったまでだ。昨日、今日はこの家にいて遊びたいからいたといえばいい。明日は美成のところに戻る」

 と言って帰らなかった。その夜も住み込みの門人、従僕らにねだって例の遊びをして大騒ぎだった。