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さて、我が家に来ると寅吉は早速笛を作りにかかった。一丈と九尺の雌竹の節をどうやって抜くのだろうと皆でいぶかしんでいると、茶碗一杯の水と火箸をくれという。用意してやると、節間に火箸を入れ、水を注いでトンと石に突き当てるとあっさり節が抜けた。長い篠竹を入れて上下にこすると、残った節もきれいになった。こうして穴の間隔を計り、鼠歯の錐をもんで穴を開け、たちまち長笛を二管作ってしまった。
「さ、できたから行く」
というのを門人達、また来合わせた小島氏、佐藤信淵、五十嵐対馬、小林元二郎などがあれこれと石笛など吹かせ、お菓子など勧めてなんとか気を引こうとする。少しはなごみ、落ち着く様子を見せたものの、ともすれば表に駆け出そうとするのは相変わらずである。短笛も作らせたかったがこの様子では願うべくもない。ふと、昨日、伴信友が訪ねてきたとき寅吉が石笛を大変気に入った話をしたところ「それなら、以前君からもらった芦根石の笛を与えれば、もっと喜ぶだろうに」と言われたたのを思い出した。
「寅吉。私の岩笛より形は小さいが音色はすこぶる良い石笛がある。私が上総国に旅した折り、浜辺で二つ拾ったのだ。ひとつを屋代翁、ひとつを伴信友に贈ったのだが、お前が石笛を好きなことを話すと信友が譲ってくれるという。それをいま取りに行かせよう。使いが行って帰るまで待ってくれないか」
「それならば少しくらいは待つ。だが、先生の得意な足止めの咒文などは使って欲しくない」
とりあえず岩崎芳彦を信友の家へ急いで行かせた(信友は酒井若狭守殿の藩中の者で州五郎という。日頃とても親しくしている友人である。牛込矢来下というところの中屋敷に住んでおり、我が家からは一里半ほどの距離である)。
寅吉は十二日の夕方に我が家を去るときまでは私を慕う様子であったのに、今日はひどくよそよそしく帰る帰るとばかりいうのがどうにも解せない。しかも得意の足止めの咒文など使うななどというのも気になる。
「今日のお前はどうもおかしい。誰かが私の悪口をいうのでも聞いたのではないのか」
寅吉は笑って答えなかったが、なおも尋ねると、
「先生はいろいろな咒文を知っているから、俺を引き留めて山に帰さないように足止めの法を行うに違いないという人がいた。そんなことをされては俺の修行の妨げとなるから早くこの地を離れて、すぐに山へ行こうと思い立った」
「なにをばかな。私はまじない、咒文など何ひとつ知らない。誰がそんなことをいったのだ?」
寅吉は黙って答えない。
「私は誰であろうとその者が志を立てて進もうとする道は、邪道でなければ力を貸してでも全うさせたいと思っている。はじめてお前に会ったとき、美成が僧になれと勧めていたのを私が止めたのを忘れたのか。その私が咒文を使ってお前の修行を妨げようなどと考えるはずがないであろう。考え違いもはなはだしいぞ」と返す返す諭すと、やや心を許したようである。
(後日、稲雄がこのときのことを寅吉に詳しく尋ねた。
「十月一日に平田先生に初めて会ったときから不思議に親しく慕う心地を覚えた。美成さんに『平田先生のところへ行きたい』と告げたのだが、美成さんは許してくれなかった。『平田は神道を信奉して広めているが、神には利益がなく、仏にこそ利益がある。世間で神社が衰えて寺が栄えているのを見れば神道が仏道に及ばないのがわかるだろう。神道など捨てて仏者になれ』と勧められた。
十二日に用があるからと呼び返されたときも『別に用はないのだが、平田に神道を勧められるのが気の毒だから呼び返した』とのことだった。『笛を作りたいのなら私が竹を買ってやろう。平田の所へは絶対に行くなよ』といって、『孝子善之丞物語』という地獄の恐ろしさ、極楽の楽しさ、仏の尊さなどが書かれた本を読み聞かせるので、また先生の所へ行って笛を作ることができなかった。美成さんのする話は山で師匠に聞いた話とは全然違っていたが、争ってはいけないという戒めがあったので受け入れた振りだけしていた。
十四日の朝、兄が来て『平田先生が呼んでいるから』と俺を呼ぶ声を聞いて、あちらの家の者が『平田という人は数々の咒文を知っている。お前を止めておこうと必ず足止めのまじないをするに違いない』というので、そんなことをされては修行の妨げになると思い、こちらに知らせず急に山へ行こうと思いたって例の手形を取りに帰ろうとしたのだが、知らず知らずこの家の前を通って無理矢理引き入れられたのは不思議なことだ。師匠が左司馬を通じて『お前の支えとなる人が現れる』と伝えてくれたのにも符合している」と語ったらしい)
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